1972年4月初代OHM結成。

1972年4月初代OHM結成!

この頃は文々Ⅱオームとも呼ばれていました。

       写真左より
        成田和夫 (ベース)
        小鹿友宏 (ボーカル)
        神谷 始 (ドラムス)
        田中秀樹 (ギター)

           

 

 

               

 

                         【1972年7月名大祭ロックフェスでのオーム】

         【カルメン・マキ&オズ、スピードグルー&シンキさん達と競演】

 

Ω(オーム)とはすなわち電気抵抗を意味する。南山大2年生の時の秀樹のノートには

ギターの絵とバンド名のΩの落書きが……。
1972年、南山大学の軽音楽部  ザ・べガーズのメンバーが母体となり初代オームが誕生
当時 名古屋の音楽シーンでは欲求不満バンド、八事裏山フォークオーケストラ,敬三バンド、

センチメンタル・シティ・ロマンスなどが活躍していたが、そんな中
オリジナルなハードロックを目指していたオームは異色であったかも・・・・・
ドラム、ベース、ギターの最小編成にボーカルを加えたツェッペリンスタイルだった。


第2期のメンバー 
1972年9月 中区役所にてデビューコンサート

 

初代のドラム 神谷 始が抜けた後、

名商大アウトオブバーンズ出身の久我 進

(ドラム)が加わり第2期のOHMとなる。

 

下の写真左より
久我 進 (ドラムス)
成田和夫 (ベース)
小鹿友宏 (ボーカル)
田中秀樹 (ギター)

昭和区川名の文文Ⅱにて
昭和区川名の文文Ⅱにて

1973年4月
第3期のメンバー


再びドラムに神谷 始が加わり

ベースに近藤久博が参加した。

写真左より
神谷 始 (ドラムス)
田中秀樹 (ギター)
近藤久博 (ベース)
山下 昭 (ギター)

この頃からツインリードとなる。

栄 久屋広場にて
栄 久屋広場にて

1973年T.REXの来日公演にて名古屋、大阪、広島のサポートバンドを務める。

この年、インデイーズレーベルより「君は何故/お前をつかめない」を発売。

第4期のメンバー 1974年
ベースの近藤久博が抜けた後、ヴォーカルとベースの

入れ替わりがしばらく続いたが 1974年11月 

谷口 明をベースに迎え

セカンド・シングル「雨の日曜日/君のためなら」を録音。

翌、1975年5月徳間音工ハーベストレーベルより発売。

右の写真左から
山下 昭 (ギター)
田中秀樹 (ギター)
谷口 明 (ベース)
神谷 始 (ドラムス)

覚王山 ブティック・イブにて
覚王山 ブティック・イブにて

『雨の日曜日』発売後、まもなく谷口 明が抜け、八事裏山フォークオーケストラより

大島峰樹がベースにて参加。5代目のOHMとなる。

全国でのライブ数はかなり多かった。

H.Kamiya(Drums)   A.Yamashita(E.G&Vo)   H.Tanaka(E.G&Vo)   M.Oshima(Bass&Vo)

 

1975年4月

 

第5期のメンバー

           

八事裏山フォークオーケストラからベースの大島峰樹が加わる。

右の写真左より
山下 昭  (ギター・ボーカル)
神谷 始  (ドラムス)
大島峰樹  (ベース・ボーカル)
田中秀樹 (ギター・ボーカル)

1976年 3枚目のシングル『まっぴらごめん/ 冬のばら』を

四人囃子の岡井大二さんをプロデューサーに迎えレコーディング

発売。